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イヤガラセの目的は?3

前回からの続きです。
人によっては様々なイヤガラセを受けていることだろう。それぞれ、身に浸みておられることだろう。そうした中において気付くのは、学会員がその後の反応を確かめていることだろう。そのようなことはないだろうか?

例えば、放火したものは、よく、現場に戻り、その後の状況を確かめると言う。ひき逃げをした者も、現場に戻って、その後の経過を見ると言う。しかし、学会員のイヤガラセも、同じだけれど、その反応を見て相手を追い込んでいく、その結末は被害者にさせるよう仕向けることではないだろうか?そんな情況に嫌気がさし、引越しさせる、辞表を書かせる、怒らせて暴言を吐かせ墓穴をほらせるなど、イヤガラセの本人は結末を迎えた場合、被害者を散々追い込んでおきながら、素知らぬフリをするのが、いつもの手口だ。なので、結末を向かえた場合に、自分に責任が来ないように、圧力を加えながら、決定的なダメージを与えないのが学会員流といえる。私も職場で長々と経験している。またネットでみかける被害も手口は違っても本質は同じだろう。

被害に遭っている方で、どうにも我慢できないという人もおられるだろう。その場合、一番いけないのは“キレる”ことだ。これは学会員の思う壺、術中にはまることになる。最悪のパターンだ。それこそ、待ってました、と言わんばかりにあげ足を取られることになる。
どうしても我慢できない、また、どうにもならない、と判断した場合には、残念だけれど身を引くのが正解だと思う。転職、引越しもやむ得ないだろう。「何で私だけが」と言いたいだろう。正しくその通りだと思う。しかし、残念ながら、日本の社会において、そうしたカルト宗教に対する認識は、まだまだ充満していないのが現実だ。聞き入れてくれる機関がない。私も職場でその弊害について、親しい同僚に説明しても、本気にしてもらえないのが現状だ。創価学会の幹部連中はそのことをよくわかっている。そのことにあぐらをかいているようだ。

さて、私のことを少しばかり。私のされたイヤガラセは前に書いたけれど、最近ではそのよなことはされていない。これは、私が彼らの存在をいろいろな人達にチクったからで、ちょっとした問題になった。だけれど、運よく、チクった人が決定的なことを学会員に伝えなかったこと、彼らもそのことを問題にするのは、ますます回りから疑われると判断したのだろう。なんとか、クビにならずにすんでいる。イタズラ電話などのイヤガラセはなくなったものの、代わりにされるようになったのは、人と会話していると、割り込んできて、邪魔をするようになった。他にもケチなことをされている。そんな時は、わざと学会員の見ているところで、会話をするようにしている。会話の内容は、創価学会とは関係ない世間話だ。時々、学会員のいる方向を見ながら話すと、話相手もそちらを向く、学会員も気になって仕方がない。一度、学会員の反応をみようと振り返ると、すぐ近くまですっ飛んできていて、反応のすごさにびっくりしたことがある。思わず「あっ」と叫んでしまった。彼らにも疲労を与えてやろうということだ。こうした“しっぺ返し”も10回されれば2.3回返せば充分だ。それで、均衡を保っていると私は自己満足している。間違っても、された以上のことをしてはならない。
私は、何かされれば、やり返そうと思っている。私は彼らのしたことが自分たちに返るよう、鏡になろうと思う。学会員は親切にも私を鍛えてくれた。お礼をするのが常識だろう。
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イヤガラセの目的は?2

前回のコメント欄でも少し書いたけど、私自身は、学会員によるイヤガラセは相手の言動に対して、制約を持たせようとしているケースが多い、と思っている。逆に言えば、たかをくくるのは危険だけれど、それ以上のことはされない、今日はこの程度か、などと考えることも可能ではないだろうか?

さて、「言動における制約」とはなんぞや?と思われる方をいるかもしれないので、そこを書いてみたい。

例えば、人は誰かに見られている、と思えば、人間、意識をするし、はずかしくない態度を保とうとする。これは制約であり、疲労なのだ。些細なことであり、社会ではありふれたことだけれど、これをプライベートな場面でされると、疲労も大きく、怒りを覚えたりするだろう。
私の知る学会員はこれを、悪用するのがうまい。学会員によるイヤガラセを思いだすと、プライベートな場面が多いのに気付かないだろうか?自宅の留守番電話、玄関先、職場では、ロッカーや机の引き出しなどなど。場合によってはイタズラとわからない程度の小細工も使う。私には、学会員が「我々はみているよ」「我々は関与するよ」と無言の圧力を加えているように思えるだ。でも、もう、そうしたことにはなれたので、大きく反応しなくなった。「やったな」と目で訴えれば、「それがどうした」などと、目で返してくる。変な会話ができるようになった。

以前、ネットであった記事に、対学会員対策に、盗聴器発見器や、ボイスレコーダを携帯している人がおられた。その人の情況は私より深刻だし、用心にこしたことはない。だけれど、相手の心理を見抜ければ、それだけで少しは気が楽になるし、警戒心も緩めることもでき、こころにも余裕を広げることもできるのではないだろうか。

                            
  つづく


追伸

5月25日付の「博士の独り言」を皆様は読んだだろうか、「三色の広告塔にご用心!」という記事である。まだの人は是非、このページのリンク先からアクセスして読んでほしいが、創価学会の芸能人を利用した“悪の本質”を見事に表現している。その内容は芸能人という、庶民とは縁のない世界だが、創価学会のやることは本質で同じだと思う。その記事を身近な事柄に置き換えて、共通点を見出せる人も多いのではないだろうか。


イヤガラセの目的は?1

創価学会による悩みでなく、本当にいやがらせを受けて、悩んでいる人がネットでも散見される。本当は悩んでいるだけの人でも、大なり小なりの精神的プレッシャーを受けているのかもしれない。だけど、いやがらせを告白される人の悩みは深刻だ。そのまま、いやがらせを受けていると、いずれは転職を余儀なくされたり、引越しをせざる得なかったりする場合があるようだ。

私も職場で小さいながら嫌がらせを受けている。告白するにはあまりにケチな内容なので、あまりブログでも取り上げてないのだけれど、そうしたケチな行為も、年数を重ねて受けていると、精神的疲労はだんだん大きくなってくる。小さな疲れが溜まってくるのだ。これは、創価学会を知らない人にはなかなか伝わりにくく、ヘタをするとこちらが変に思われたりする。そんなことで、職場や友達にも相談しにくいのだ。下手な表現をするけれど、体をコンクリートで固められ、身動きできず、上から、一滴一滴水滴を、額に落とされるような気分になる。一滴の水にはなんら破壊力はないが、その精神的ダメージは、日を追うごとに、自分の内部で増幅されるのだ。もっとも、それが狙いなのかもしれない。彼らは、その辺のところをよくしっているようだ。実際そうした目に遭った人でないと理解はできないと思うけれど。

さて、そうしたイヤガラセをする彼らは(勿論、男性だけではなく、実行部隊は女性が多い)どこまで本気なのだろうか?ネットで散見される告白をみると、家の花壇を踏み荒さたり、郵便受けにヘビが入ってたとか、動物の死体が玄関先にあったとかを読んだことがある。しかし、闇討ちにあって、ケガをしたとか、家に放火されたとかは私の知る限りないのだが・・・。ちなみに私がされることのあるイヤガラセとは、留守番電話に無言のメッセージが入っていること、入れ替わり立ち代り、無言で知りもしない人から睨みつけられたりすること(これは職場の学会員が頼んだとしか考えられないが)、職場での小さな落ち度を責められたり、悪口を言いふらされたり、などである。幸い、どれも致命傷にならずに同じ職場に留まっていられるのだけれど。気の弱い人なら、やはり、辞表をだしているだろう、と思う。

そうしたイヤガラセに何の目的があるのだろうか?         

あまりにも悲しい

長い間休んでしまいました。それでもここを訪れていただいた方には、お詫びと感謝を申し上げます。

私の身の回りは、最近、悪いことばかりです。もう、本当にろくでもないことばかり・・・

まず、私の父親だが、学会員である母親に押し切られ、創価学会に入信していたこと、それをいままで隠していたこと。その間、私はちょくちょく実家に帰り、コミュニケーションをとっていたつもりだったが、そのことに気付かなかった。ネットで創価学会批判を繰り返している間に、そのような事態となっていた。これは正直ショックだった。それ以来、実家へは足が遠のいている。もう、勝手にしろと言いたい。

この春の地方選挙も、私の地元では結果はろくでもないものだった。公明党が十数年ぶりに、議席を増やした! などと地元の三流新聞に出ていた。次の日の朝、職場の学会員の顔がそれみたか!といわんばかりの顔に見えた。いや、そういう顔だった。職場では、私は創価嫌いで通っている。

もう一つ挙げれば、昨年から続く、創価学会を批判する人気サイトが閉鎖していくことだ。これについては皆様も同じ気持ちではないだろうか。そんな中、私も参加させていただいた「創価学会放棄宣言」も閉鎖するという。ショックであり、本当に残念でしかたがない。だけど、もう今は、開設者である おもいやりのこころさん をはじめ、そこで知り合えた方々には「ありがとうございました」「長い間、ご苦労様でした」というしかない。
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Author:コオロギ丸
ようこそ、嫌創価流へ
創価学会と学会員はある意味で反面教師である、という方がおられます。その通りではないでしょうか。
創価学会並びに学会員をウォッチすることは、世間一般人にとって、必ず役に立つと確信します。
さあ、一緒にウォッチしませんか?

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