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創価学会、いい人、悪い人

皆さま、こんにちは。

最近は秋葉原の事件といい、短絡的で悲惨な事件が多いですね。そうした犯人のように、一旦切れてしまった人というのは、もう、回りが何を言っても耳に入らないのですね。ある昼のワイドショーに出ていた芸能人が「そんな人は自分だけ自殺してくれればいい」と発言されていました。感情的になれば「いえているなぁ~」と思えますし、人道的に言えば「それは言い過ぎでしょう」となるのでしょうか。私はどちらかと感情型の人間です。ですから正直なところ「でれば自分だけ・・・」という意見の方になってしまいます。

皆さまもご存知のように、その犯人もネットとは繋がりを持っていたようです。彼のネットの繋がり方はニュースで見る限り、虚栄心にあふれたもののように感じました。ネットで強がり、見栄を切ったために引き下がれなくなったのではないでしょうか。彼がもし、ネットとの繋がり方に違う方法を持っていたら、例えば、同じ悩みをもつ人の声を聞き、その中で良心的な人と交流が出来ていれば、それが良い意味での制約となって、事件には至らなかったのではないかと、ネットが生活の一部となっている私は思ってしまうのです。事件から時間が経ってしまいましたが、事件の犠牲になられた方々のご冥福を、こころよりお祈り致します。

さて、今回は久々に雑感を書いて見たいと思います。

少し前の話になりますが、ある葬儀の会場で、従兄弟と話しているうちに、私が学会員である母のことを愚痴ってしまい、それについて従兄弟がやさしく、「学会員にもいい人もいればそうでない人もいるからね」などと言ってくれました。慰めのような言葉でしたが、私はそうした区分が学会員にあるのかな?と、ふと疑問に感じてしまいました。

ネットでよく区分けされる学会員とは「バリ活」であったり「内部アンチ」であったり、あるいは「従順派」であるのですが、「いい学会員」「悪い学会員」という言い方はあまりというか全く見かけませんね。「どんな国にもいい人と悪い人はいる」とかは、よく聞くことばですが、創価学会についてはどうもピンと来る言葉ではないようです。

もし、「いい」「わるい」という区分をする人がいるとすれば、それは創価学会幹部が使う言葉ではないでしょうか。例えばF票をたくさん取ってくる人は「いい学会員」であり、そうでない人は「悪い学会員」とね。でも実際には「悪い学会員」とは口にできないので、そんな学会員にはお説教でもするのでしょうか。一方の「いい学会員」にしても目標がクリアされれば次の目標が待っているだけで、結局同じことになるだけのことだと思います。でもそんな中で、一生懸命に活動したかではなく、とにかく成果を上げた学会員が「いい学会員」となるのでしょうね。

私の職場でもいろいろな学会員がいます。中には比較的おだやかで控えめな人もいますし、喜怒哀楽の激しい人もいます。この内、おだやかな学会員をみれば「創価学会にもいい人と悪い人がいる」と言った従兄弟の言葉は正しいのかもしれません。この学会員(女性)は、外から配達された和菓子を、毎日お茶菓として職場に出しているという。しかし、このおだやかな学会員は、創価学会の信仰のおかげでそうなったのかといえば、とてもそうは思えないですね。生まれ持った元々の性格なのでしょう。それでも、その学会員も時折、苦痛に満ちた顔をされるのを何度か見ています。

聖教新聞の内容や、普段の活動の様子から考えれば、むしろ、こうしたおだやかな人まで、喜怒哀楽の激しい人に変えるのが、今の創価学会といえるのではないでしょうか。性格的に無理な活動をして、精神を病んでしまう学会員が多いのは、ネットではたくさんおられます。内向的な人が創価学会に合わないといった話を、軒先生のブログ「時計の針の巻き戻し」で読んだことがあります。そんなわけで、いとこのいった「学会員にもいい人もいればそうでない人もいるからね」というのは、間違いではないかもしれませんが、あまり創価学会を知らない人のセリフだと言えそうです。


<参考記事>軒先生のブログ「時計の針の巻き戻し」から
会員の性格と学会員内外での対応
病理法と創価学会


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非公開コメント

まあそうですよね。いい人もわるい人もどこにでもいてる。
(仕事の)出来る人も出来ない人も、(話を)聞ける人も聞けない人も、
(自分が)変われる人も変われない人も、、、
「いい学会員」はどうでもええけど、
「いい人」なら普通に付き合えるもんね(少ないけど)。

学会員にイライラしてた頃は
「なんで学会に所属しててそないなええかげんな事が出来るねん!」
って怒ってばかりやったけど。
良く考えてみると、やっぱり色々な人がいてるもん、
しかたないんかな?ってなってきてしまいました。

宗教は個人に帰するもので、その人なりに考えないと意味がない。
ということは人の数だけ宗教があってもおかしくないんや。
どんだけ説明されても自分の物にはならんわな。
自分の内面と向かい合って、汚い自分も見つめて考えないとね。
たまには外側から、空の上から自分を見つめてみたり。

やっぱり群れる事が一番問題やないかと思いますね。
群れて、同じ方向いてる気がして安心して。実は全然安心できへんねやろけど。
宗教の曖昧さ(これも捉えかたやけど)にどうでもええか~の今日この頃。。。


あああ、雜感に雜感でコメントしてもうた。わけわからんでごめんなさい。

こんばんは

三九郎さん、ようこそ。
>学会員にイライラしてた頃は
うらやましいなぁ~、私は今でもイライラしてます。三九郎さんのような心境になりたいものです。
>宗教は個人に帰するもので
これですよ、これ。本当にそのはずですが、永遠の師匠だの、仏敵だの、本来個人のこころに帰すべきものが創価学会にはないというかさせないようにしていると思われます。
>群れる事が一番問題
群れている間や唱題をしている間は、自分を忘れることができるのでしょうか。しかし、人というのはいずれは我にかえるものだと思います。それを嫌い、学会に没頭しようとすればするほど、我に帰ったたときの負担は大きくなるのですね。

>空の上から自分を見つめてみたり。
三九郎さんらしい素敵な表現ですね。


引用、ありがとうございます!

私のブログから引用してくださって、まことにありがとうございます。私の文章は拙い文章ですが、何かの役に立ってくれればと思います。

ありがとうございました。

ようこそ、軒先生

わざわざお越しいただき、恐縮です。

記事の紹介をご了承いただき、ありがとうございました。
長年にわたる先生のご活躍は、私にとっても大きな励みになります。
これからも、ご指導賜りますよう、お願い致します。

コオロギ丸さま、はじめまして

「いい人・悪い人」についつい反応しました。

私はいたってまじめな性格で、悪いことは許したくないし絶対したくないという窮屈な人間でした。
ところが、入信して3、4年目くらいだったか、コインランドリーに残されていた他人の洗濯物を、家に持って帰ってしまったことがありました。
弁解すれば、出来心だった、というしかないんですが、いまだに忘れられない出来事です。
時々そのときの心情を鮮やかに思い出してしまうことがあります。
今考えると夫婦仲が最悪で、すごいストレスの中で生活していたんですね。医者には診てもらったことはなかったけど、かなりのうつ病だったと思います。
またそのころ、病気で頼ってこられた恩人の世話よりも、学会活動をとってしまったことがありました。

こういう私のような人間を一面から見ると、悪い創価学会員、悪い人間にしか見られないでしょうね。
でも、言い訳に聞こえるかもしれないけど、変わっていける速度って一人一人違うんですよね。

私は自分にある程度自信がつくまで長い時間がかかりました。私の周りも結構そうですね、時間かかっているようです。
長年信心している人でも、威張ったり、意地悪したり、人を見下したり。
結局自分を見つめることができるかどうかなのかな、と思っています。

ようこそ、梅花さん

梅花さん、はじめまして、よくお越しくださいました。
梅花さんは真正直な方ですね。コメントを読んだ私の感想です。梅花さんの当時は、かなりのストレスだったのですね。お気持ちを察しします。

私は現在の創価学会員を見る限り、元々いい性格の持ち主ほど、傷ついているように思えます。学会から受ける指導と、それに反発する元々生まれ持った良心が葛藤を起こしているのではないでしょうか。よって、良心の残っている、又は良心に逆らえない人ほど、学会には向かないと思います。そのご本人は本当に思い悩んでいるのでしょう。ですが逆に、そうした思い悩む自分を誇りに思っていいのではないでしょうか。

梅花さんは「悪い学会員」ではありませんよ。しかし「いい学会員」でもありません。元々単に「いい人」なのです。私は学会員になって心がきれいになったという人をみたことがありません。逆に元々いい人が学会員になったばかりに、卑屈な表情をしたり、他人の悪口を口にしたりするようになった人は何人か見ています。

>私は自分にある程度自信がつくまで長い時間がかかりました。
梅花さんは、もうすでに回復過程に入っているのですね。その調子でがんばってください。微力ながら応援してます。そんな梅花さんには、ここも含めて、いろいろなブログにカキコされることをお勧めします。もっと気持ちの整理もできるのではないでしょうか。
失礼しました。

あっ、最後にコオロギ丸に「さま」は付けないでくださいね。(笑)

ありがとうございます

>私は学会員になって心がきれいになったという人をみたことがありません。

そうですね、こころのきれいな人は育ちでしょうか。
家族に愛されて(甘やかされて、ではなくて)子供時代をすごすことができた人たちはおしなべてきれいな、素直な心根の人たちが多いし、第一人を疑うことを知らないですよね。

私は恥ずかしながらすごく疑い深いところがあって、昔は人の噂話=悪口ばかり。
また知らず知らずに金銭に執着するところがあったようです。けちけちしていると言うのではないけど、お金がないということにすごくストレスを感じるのです。

「人間革命」という言葉に惹かれて入信をしたんですが、その道は遠かったなあ、です。[色:3333FF]

すごく大変なところを通っていたときには、やはりわらをも掴むような気持ちで、創価学会に頼っていたんだなと思います。
今、少し組織や池田先生を突き放して見ることができる様になったと言うのは、ある程度余裕ができてきたということなんでしょう。

梅花さんへ

こんにちは。
「人間革命」、そうですね。この言葉の響きのよさに多くの人が騙されているのですね。この本は池田大作の人生を彷彿とさせながら、問い詰め、事実を突きつけると、「誰も私の歴史とは言っていませんよ」と池田大作自身がさらり答えられることろが、すごいのではないでしょうか?私はこの本の中身を知らないのです。

この本は私の実家にもありますが、母はそれを読んでいないようです。母はその背表紙の文字を見ただけで満足しているようです。(笑)

>見ることができる様になったと言うのは、ある程度余裕ができてきたということなんでしょう。
それが大きかったのですね。余裕を持って、改めて回りを見ると、「どうもおかしいなぁ」と気付かれる方は多いのではないでしょうか。創価学会ではそうならないためにも、時間的余裕を与えないために活動を目一杯押し付けるのですね。

ともかく、梅花さんは気付かれてよかったですね。今後、益々回復されることでしょう。
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コオロギ丸

Author:コオロギ丸
ようこそ、嫌創価流へ
創価学会と学会員はある意味で反面教師である、という方がおられます。その通りではないでしょうか。
創価学会並びに学会員をウォッチすることは、世間一般人にとって、必ず役に立つと確信します。
さあ、一緒にウォッチしませんか?

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