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創価学会員の活動の原動力とは 2

前回の続きを・・・

そうした一対多数の折伏や、集会などでのゲストへの囲い込みなど、何度も書くけどフェアではない。また、その逆の話は聞いたことがない(異例的な話はこれほど大きな組織だから、あって当然なのだが)。また、そうした対象とする人を多数で囲む場合、事前に対象となる人がどんな人なのか、事前に話し合って、その人の情報(きわめてプライベートな)を多数となる者、全員が掴んでいるのが創価学会流だ。

つまり、誘う方は対象者を品定めできる立場に立つことができる。これからこの人をどう攻略しようかと、みんなで話し合うことは、反道徳的な快感を得るのだろう。反対に対象者は、なんとなく来てしまったけれど、知らない人がおおいなぁ~、これからどうなるんだろう?などと不安な気持ちになり、それを感じ取った学会員たちはさらに優越感に浸りながら、話を切り出す、といったところだ。ろくでもないことだけれど、これに味をしめた者のなかには、その優越感が忘れられないのではないだろうか?この優越感は本人が自覚していない場合が殆どだろうけれども。

だからといって、そうした“囲い込み”がうまくいかないのが、学会員の現状だろう。そんなことが続けば、自分自身に疑問をもたげる学会員もでてくるだろう。これは組織上まずいことだ。そこで始まるのが、罵詈雑言である。囲い込んでも首を立てに振らなかった人を罵倒してもいいし、他に共通の話題となる者でもいい。肝心なのは、自分達のしていることを省みないことなのだ。省みた途端、自己否定の嵐が待っている。私は創価学会員が恐れるのは、仏罰論や地獄論ではなく、これではないかと私は思う。普段、学会員と接すると、このことを強く感じてしまうのだ。

こんなことから、聖教新聞の座談会記事は、そうした行き詰った学会員への、猫じゃらしのような気晴らしであり、慰めであり、カンフル剤として書かれているのだと思っている。どうだろうか。

題名の「創価学会員の活動の原動力とは」については、創価学会員であることでつかめる、偽りの優越感にしがみつこうとする“低俗な煩悩”と、結論づけたい。
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「モノの考え方」

 初めまして、マルーンという「コードネーム」の者です。私は以前「そうか!」でした。でも、15~6年前に脱会してます。それ以前から「そうか!」の内部はとてもオカシイと感じてました。彼らは、まあ、自分もそうでしたけど、何をしても「信心」をやってるんだから大丈夫、という考え方が大半でした。でも、ご承知のように、犯罪に手を染めたり、夜逃げしたりする人達が後を絶ちません。「南無妙法連華経」は、なにも「そうか!」の登録商標ではありませんし、勘違いも甚だしいと思います。それと真面目に信心している人達は、ほんと真実を知る時期が来たら、どう思うでしょうか?私は一部の人達が告発している「集団ストーカー」というものにあっています。付回して、錯乱させるのが狙いみたいです。「そうか!」です、かれらは。堂々と機関新聞や著書を見せびらかしてますから。豊富な資金が流れる限り、それらは続くんでしょうが、いつまでもそれが続く世の中ではないと思います。

マルーンさんへ

こんばんは、始めまして。どうぞ、宜しくお願いします。

「放棄宣言」でのコメントも読ませてもらいました。かなりつらい情況にあるとお察しします。

付けまわして、錯乱させる、とのことですが、彼ら一部の学会員は、そうしたプレッシャーをかけることが、相手の精神にどうダメージを与えるのかを、よく知っているようです。つらいのは、この悩みが、自分の身の回りの親しい人にもなかなか理解してもらえない、ということですよね。

マルーンさん、つらい情況ですが、是非がんばってください。ネットで憂さ晴らしでも、愚痴でも吐き出してください。マルーンさんが付けまわしの対象からはずれる方法が見つかることを願います。

No title

はじめまして。
悩める子羊と申します。
創価学会に所属している友人がおります。

ブログの記事全部ををざっくりとですが、読ませていただきました。
特にこの記事を見たとき、まさしくその通りと思い、コメントしました。
私も、学会の人たちとは(自分にとって)アウェーな環境でしか話したことがありません。
気が弱く周りに流されやすい所があり、これまで何度か学会の活動に参加して、入ろうかななんて思ってしまったこともありましたが、親に話す勇気がなく踏みとどまりました(一昨年のことです)。

今思えば、それが正しかったと思います。
理由はいくつかありますが、一番の理由としては平和を目指すとか言いながらよその宗教を批判し、憎悪を生産するこの宗教を支持しようとは思えないからです。

また、2度ほどですが創価学会に批判めいた意見(政教分離の話と、友人の先輩の発言への不満)を友人に言って、ボロクソに言われまくったこともあります。

本来は二度と関わりたくないと言いたいのですが、そうなった場合と友人関係に支障が生じることや、その友人と現在はほとんど学会の話にならないこともあり言えていません。

何より辛いのは、学会についての不満・悩みを言える人がいないことです。他にも友人はいますが、宗教がらみの話であることを考えると切り出しにくいし、何より現在は学会の友人と一番関わっているので…

こんな状況で行き詰ってしまっており、このブログにコメントさせていただきました。

いきなり長文すみませんでした。

こんにちは

ようこそ、悩める子羊さん!

このブログを読んでくださりありがとうございます。

さて、お友達が学会員ということで、悩ましいことですね。

子羊さんは何度か学会の活動に参加されたということなので、「これは脈あり」と判断されたのではないでしょうか?活動する学会員というのは自分たちは絶対正しいと思い込んでいるので、世間一般人と議論をしても、理論でもってこれが正しいと論証することはありません。

しつこく何度も食い下がるのは、相手の軸足をずらすことにあります。例えば、しつこいので会合などに誘われて出ていると、その出た回数だけ子羊さんは軸足をずらされたことになり、その巾も次第に大きくしようと学会員に思われることでしょう。

すいませんね。悪までも一般論で書いています。

で、もしその友達がそのようなタイプであるならば、残念ながらお付き合いは控える方向しか解決策はないと思います。断りをきっぱり言うしかないでしょう。

あと、ご両親には相談されてもいいのではないでしょうか?そうした遠慮がちな性格を見抜かれているかもしれませんよ。その他の学会員ではないご友人にもそれらしく相談してみてはどうでしょうか?

学会員から迫られた場合、親や兄弟が反対するとか、他の友達が否定的だとかいえば、なぜ創価学会が正しくないか?と論ずるより効果があると思いますよ^^。

後は会社や学校、あるいは趣味などでたくさんの人とコンタクトをつくる。またはそれらを忙しく演じることで学会員からのアタックも遠ざけることにもあると思います。

悩める子羊さんが学会員である友人のことを想う気持ちは大きいことでしょう。ですが、それゆえにお互いに仇となる可能性が大きいでしょう。カルトとはそういうものです。





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上の方へ

はじめまして。

前の方と同じようなお話ですね。

最終的には毅然とした対応しかないというのが、私の考えです。

相手が一人、二人、と増えてくることに、こちらも何らかの相談できる人を増やしておくことをお勧めいたします。毅然とした態度はそれからがいいでしょう。これを戦いとするならば、理論ではなく、相手の立ち位置をずらすことの戦いになることを認識しておいてください。特に組織的にはプロであると考えてください。

それとネットではまだまだ良心的なブログもあります。そうしたところでこころのつながりを持つことも大切ですよ。

がんばってください!



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コオロギ丸

Author:コオロギ丸
ようこそ、嫌創価流へ
創価学会と学会員はある意味で反面教師である、という方がおられます。その通りではないでしょうか。
創価学会並びに学会員をウォッチすることは、世間一般人にとって、必ず役に立つと確信します。
さあ、一緒にウォッチしませんか?

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