スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スピリチュアル志向の煩悩人?

まったく、なんだかなぁ~、う~ん、私自身は相変わらず悶々とした日々を過ごしています。
私自身、創価学会と好き好んで関わっているわけではないのだけれど、こうした拙いブログを営みながら、相変わらず創価関連の日々を過ごしています。

だったら、そこを離れたらどうだ、と言う人もいるでしょう。イヤなのにいつまでも関わっているのは、所詮はあなたの「我」であり「煩悩」ではないのか?などと仰る人もいるかもしれません。

そこまで言われたら、どうでしょう。う~ん・・・ですが、私はそれを正直いって否定しません。私の創価学会批判は、私自身の煩悩の延長に過ぎないといわれても納得できます。そして私はその煩悩を肯定できる覚悟と自信があります。そして「煩悩」は囚われるのでなく、見つめれば、必ずそれを消化(or昇華)する方法があるはずだ、と思うのです。私の持論は「煩悩は消化するもの」です。偉そうにいいましたが・・・

そんな私も「スピリチュアル」な気分になるときがあるんですよ。また、そうした系列のブログにもお邪魔させてもらったりもします。そうした「スピリチュラル」なブログ主からすれば、私に対してはもっと別の視点がある、とか仰るのかもしれませんね。でも、人それぞれが、それぞれの出会いと環境に生きているのです。ですから私のような煩悩人の存在も認められるはずです。えっ、ならば、学会員は?さらにバリ活さんは?更に究極例えで池田大作は?どうなるの???

しかしこれは認められないでしょうね。なぜか?それは簡単です。人道上、個々の人間の人生の意義を否定しているからです。この問題については、ここでは触れたくはないのですが、例えば、選挙がそうです。候補者がどんな人か分からないまま、言われたとおりの名前を書くことが、自分の人生を生きていない証拠です。人間として愚かさを感じます。他にもいろいろ有りますが、書く必要はないですよね。

私は自分の煩悩を肯定できる、と書きました。私は学会員とその活動を否定します。それと「煩悩は消化すべきもの」といったのは、人道上のルールに沿った方法で、それが可能である、という自負があるからです。学会員とその活動にはそれがありません。どうでしょうか?
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

う~ん、よう分かるなぁ~~~。

>だったら、そこを離れたらどうだ

そうそう、自分の中のもう1人の自分がよう言うてるわ。
「そないに文句があるんやったらやめたらええのに」
しかし、人はいろいろな環境でいろいろな人とかかわって
生きてるんやし。嫌いは嫌いでかかわらなあかんかな。
同化や合意やなくて嫌いなままのつきあい。。。

なんてね。。。

こんにちは、三九郎さん。

三九郎さん、エライですね。
職場でのイザコザもグッと腹に収めることは、創価の場合なかなかできませんよ。

私や三九郎さんのような人は、実はたくさんいるはずです。ただ、そうした相談窓口がないのが問題ですよね。

私も負けずにがんばるぞーっと。
sidetitleプロフィールsidetitle

コオロギ丸

Author:コオロギ丸
ようこそ、嫌創価流へ
創価学会と学会員はある意味で反面教師である、という方がおられます。その通りではないでしょうか。
創価学会並びに学会員をウォッチすることは、世間一般人にとって、必ず役に立つと確信します。
さあ、一緒にウォッチしませんか?

sidetitle最近の記事sidetitle
sidetitle最近のコメントsidetitle
sidetitle最近のトラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリーsidetitle
sidetitleFC2ブックマークに追加するsidetitle
FC2ブックマークに追加
sidetitleFC2カウンターsidetitle
sidetitleFC2ブックマークに追加するsidetitle
FC2ブックマークに追加
sidetitleブログ内検索sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。