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ゴミ箱の効果

皆さま、こんにちは。
今日は私のブログに起こっている、ちっぽけな出来事を書いてみます。

最近、このブログで“ゴミ箱”というカテゴリーを作ったのですが、これは淫乱な言葉の表現をするコメントを止めさせるためです。これが中々効果があったようです。それを設置してからは、なんとピタリとその類の書き込みが止まってしまった。「あっれ~~」という声をあげたくなるくらいのタイミングでした。それにしても、こうした連中、機械的(スパムというのでしょうか)に送りつけてくるのかと思えば、そうではないことがはっきりしました。このくだらない連中は、内容を確認していることがわかる。でも、まあ、“嫌創価関連”のブログをやっていると、こうした連中はつきものなので、他のブログでも荒らされている場面をみることができますね。それにしても、はたしてこうした連中が学会員かどうか、ということが気になるのですが、それはもう確かめようがありません。だた、創価学会を否定するブログに同じようにことが起こっていることは、考えれば、一部の学会員の仕業と考えるのが自然といえそうです。

私のブログにくるこうした“イヤガラセ”は、ずっと以前に書いた記事のコメント欄に書かれるのが大半です。はっきりと最新の記事のコメント欄に書けばいいものを、わざわざ忘れかけた記事に送ってくるところがいかにも陰湿的だ。小さな綻びから相手を揺さぶっていこうというのだろうか、なんとなく「伝書鳩スパイ網 恐怖政治!?」で紹介した、伝書鳩の存在を思い出してしまう。もう一つ特徴を挙げるとそのほとんどがメールなどのアドレスが貼り付けてあることで、文句を言ってやろうと、うっかりメールを送ると「IP」などを何かの資料にされかねない、と思っています。

でも、まぁ、こうしたことに気をつかわせることも、連中の術中にはまるというものです。その意味ではわたしも、はめられてしまったのかもしれません。充分気をつけなければいけませんね。本当は、黙って削除するのが一番なのかもしれません。



追記
聖教新聞などでは、よく、「新潮」などの週刊誌や、反創価学会系のブログを「デマ」だの「悪」だのひどい言葉で非難しています。ですが、どこがどう「デマ」なのか詳しく書かれていません。裁判にしても、勝ったときだけ大々的に掲載されていますが、裁判の中身はどれだけ伝えているのでしょうか。これは、創価学会が非難する相手に対して、理論で反論できないからです。創価学会の存在の是非は、もう既に決着がついているのです。今後は社会全体への創価問題の周知と、学会員の事実を認めるこころの準備だけが問題なのではないでしょうか。

*もし、このゴミ箱の設置を試して見たいという方がおられれば、どうぞ、ご参考になさってください。ただ、結果は自己責任でお願いします。

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非公開コメント

こんばんは

この間はありがとうございました。

・・なんだか運ちゃんさんのブログは僕は閉めてしまったようになってしまいました・・
僕のほうが宗教アレルギーが出てしまったと言うことでしょうが。

ゴホン、記事へコメントさせていただきます。。

>裁判にしても、勝ったときだけ大々的に掲載されていますが、裁判の中身はどれだけ伝えているのでしょうか。

ご存知かもしれませんが、その最たる例が、池田氏の公選法違反についてですね。
小説「人間革命」には四年以上に渡る裁判の中身には一切触れていません。それどころかいつの間にか弁護士団(団ですよ!?)が学会側についていたり、裁判の費用についても一切触れていなかったり・・
また加えて、小樽問答、夕張事件等々、「学会の歴史」として大々的に謳われている事柄は、小説のなかでは意外にさらっと終わってしまうのです。結末自体もそんなにすっきりしないものでしたね。
学会員さんが現代の「御書」などと豪語してますが、日蓮もびっくりでしょうね。

ただ、「信仰」という魔法の言葉はそんな単純な疑問も曇らせてしまうようです。


ようこそ ほんとに凡夫さん

こんにちは。
>この間はありがとうございました。
いえいえ、こちらこそ、出すぎたマネをしてしまいました。
ほんとに凡夫さんは、元々ルール違反はしていないのですから、責任はありませんよ。

ある方が、このようなことを仰っていました。その方も2世でしたが、「創価学会に思い入れを持って信じてから、様々な矛盾に気付き、更にとんでもない団体だと分かると、抑えられない怒りがあふれてくる」と。
だいたい、こんな意味でしたが、気持ちは分かります。その方は同じ境遇の友達とあって、創価学会を非難して、気持ちの整理をされているそうです(当時)。ほんとに凡夫さんも気持ちの整理が必要ではないでしょうか。私は気持ちを抑えるより発散させることが大事だと考えます。その場合はアンチブログがいいでしょう。たくさんありますので、これからも是非参加されてください。あっ、勿論、私のところも宜しくお願いします。

>池田氏の公選法違反
あれ、私の記憶では池田大作は逮捕されても起訴されなかったと覚えています。私の勘違いでしょうか。その代わり50名ほど、有罪となり、池田大作の身代わりになったと、何処かで読んだような記憶があります。その裁判が4年以上なのでしょうか?いずれにしても、都合の悪いことは、池田さんはひとつも触れていませんね。

有名な小樽問答や夕張事件というのは語り草となっているようですが、これについては良く知らないのです。今後勉強したいと思っています。あちゃ~ボロがでましたね。(^^;

こうして見ると、池田神話というのは、すべてインフォメーション ギャップがないと成り立たないのですね。日本と海外、日本国内でも学会員と世間一般、そして学会内においてのギャップ。

ほんとに凡夫さんが仰る、学会版「信仰」というものがなくなれば、見ればわかるものなのです。私は以前、学会員の人ほど学会の矛盾を知っているだろうと、思っていました。そうではないようですね。アンチにならないと気付かない部分を大きいのですね。

こんばんは

お返事ありがとうございます。

>出すぎたマネをしてしまいました
>ルール違反はしていない

え!?そんなことは・・
僕はコオロギ丸さんの「何が正しいかではなく、気持ちが楽になることが大切」という言葉に深く共感しました。
それに、僕は運ちゃんさんからすると「議論のための議論」しかしていなかったようで、ルール違反ぽいですよ(^^;

>思い入れを持って信じてから
>抑えられない怒りがあふれてくる
>創価学会を非難して、気持ちの整理

そのとおりですね。的を捕らえています。
僕も無意識に潜在している怒りを鎮めるために極端に否定的な意見を突きつけることによって、バランスを取っていたのかもしれませんね。

>起訴されなかった

あ、僕の言葉足らずでしたね。そのつもりで話してました。
ただ、自分の監督不行届きはさておき、池田も創価学会員も、自分がやられたことに関してはまぁ~いつまでもピーピーギャーギャー五月蝿いったらないですね。
それどころか法難とまで祭り上げるんですから・・おバカとか自己中の域ではありません。

>良く知らないのです。今後勉強したいと思っています。

対バリさん用ですか?
それ以外には一切何の役にも立たないですけど・・ネットにたくさん出回っているでしょうから「チラ見」程度にすましちゃってくださいv-227

>学会版「信仰」というものがなくなれば、見ればわかるもの
>アンチにならないと気付かない

そのとおりです。
一度ゼロベースに戻すことをしないとダメです・・
学会版に限って言うにしても、所詮依存なんですよね。信仰って。

ほんとに凡夫さんへ

おはようございます。^^
年寄りは朝は早いのです。
ルール違反ではないと言ったのは、ほんとに凡夫さんに悪気がなかったことと、意見としてちゃんと主張になっていたからです。ただ、「場」の配慮が足りなかったということではないでしょうか。

>バランスを取っていたのかもしれませんね。
そうです。バランスを取ることは大切ですよ。実は正直いうと、私もバランスを取るためにブログをやっています。
私の創価被害は、母が○十年前に入信して、今では家庭崩壊してしまったこと。職場では学会員がはびこり、まともな気持ちで働けない環境を強いられていること。この2つによって創価学会に対して一矢報いてやろうと、ネットに参加するようになりました。私にも激しい感情がありますよ。^^  私の「復讐」は、学会員がインチキ宗教創価学会から目覚めることことで達成されます。学会員が目覚めれば「おめでとうございます」と声をかけますし、創価学会に対してはざまーみろといった気持ちですね。
>対バリさん用ですか?
いいえ、自分のブログネタにするつもりです。私は断り書きにもあるように、バリさんとは会話はしません。時間の無駄ですから。それにバリさんがこたえるのは、非難されることではなく、無視されることだと知っていますから。

>所詮依存なんですよね。信仰って。
宗教というのは依存するものと思っています。そうでないとやっていけないという気持ちが年齢と共に出てくるものでは。それは悪いとは思えませんが、それを悪用する創価学会は許せませんよね。


二日遅れで・・

朝も夜も遅い若者です(笑)

凡夫@仕事中でございます。。

>「場」の配慮が足りなかった
頭に血が上るのが早いようで・・お恥ずかしい限りです。
正直なところ、日蓮や正宗の教義そのものの教義・信仰という本質問題をおざなりにして組織上の問題をあれこれと言ったところで何になるんだろうという気持ちが先行してしまうんですよね。。
「信じているからALLオッケー」みたいなのはありえないと思っています。

・・というデトックスでございました。
失礼しました(汗)

コオロギ丸さんは壮絶な体験をなさっているんですね。今もそれで辛い思いをされている・・
そいったお話をネット上や組織内で見たり聞いたりするたびに何でこんな団体に入ってたんだろうという後悔とむなしさの気持ちで一杯になります。

>バリさんとは会話はしません
ブログをやっている皆さんはしっかりわきまえてますよね。偉いです。
基本的にトランス状態にあるのか「アタマだいじょうーぶ?」って感じですしね。
でも、信じていたころは断片的にでも同じように考えていたので、吐き気さえしてきますv-40オエー

>そうでないとやっていけない
年齢と共にという意味での信仰とは、いずれ訪れる「死」というものに対してでしょうか。
僕は宗教が明確な答えをだしているとは思えません。

>それを悪用する創価学会
以前の記事にもありましたが、「相互作用」というのがいいところでしょう。
ご存知かもしれませんが、インフォギャップというのは、池田が絶対的な存在になる以前に、日蓮正宗自体が閉塞的な宗派で、昔から教義面から情報操作が行われていました。
確かに、悪用ということで今は説明がつくかもしれませんが、学会員が異常行動をとるに至るまでには必ずトレースが存在していると思います。
ただ異常性だけを見てしまうと、ちょっと理解不能なところもありますね。。

「純粋な信仰心は罪ではない」とはいっても、こういう宗教がらみの問題が起きていて、しかも自己責任で済んでいない以上、「信教の自由」に責任が伴わないのはまずいのではないかと考える今日この頃です。

やあ、ほんとに凡夫さん

ようこそ、ここへおこしやす。
>日蓮や正宗の教義そのものの教義・信仰という本質問題をおざなりにして組織上の問題をあれこれと言ったところで・・・
これについては私は正直、答えを持っていません。うん!どうなんでしょう?これについて答えというものがでるのでしょうか?私はいつもただ、回りで起こっている諸問題を取り上げているだけにすぎません。ですが、言っていることと実際やっていることでは、その組織としての本質がやっていることに現れやすいのではと思い、ブログで記事にしています。

日蓮の根本的な教えについては、それを受け継いでいると言っている諸団体ごとによってバラバラなのでしょうか?正直分からないのです。しかし、あまりいい団体はないような気がします。日蓮というのは独善的、排他的というのが私の漠然としたイメージなのですが。

ただ、ほんとに凡夫さんに知ってほしいのは、今回経験したことは、一つのパターンだということです。それはどういうことかと言うと、前にもコメントに書いたように、学会組織の矛盾に気付き、とんでもない宗教だと分かった時に、その怒りは大きなエネルギーとなって噴出してしまうことがある、ということです。私はネット上でそのような方を知っていますが、皆さんとてもいい方です。残念なのは、そうしたエネルギーを出したあとは、自責の念にかられたか、以前のようにネットに参加されなくなることです。これでは元も子もありません。

私はそのような経験をされた方にも、胸を張って堂々とネットで主張されてほしいと思っています。

>何でこんな団体に入ってたんだろうという後悔とむなしさ・・
私なんかよりももっとひどい目にあっている方がたくさんおられるようですよ。しかし、2世にしろ、自ら入ったにしろ、気付いたのなら、もうそれはいいっこなしですよ。大切なのはこれからなのですから。

>宗教が明確な答えをだしているとは思えません
それはその通りだと思います。明確な答えがあれば宗教ではなくなると思います。分からないところがいいのかもしれませんし、そういうものがあってもいいのではないか、と思うのです。キリスト教にしても、イエスは絶対的な存在なのであり、処刑後復活されたというのが前提のようです。しかし、死んだあと復活するなんてありえませんし、拝殿のある敷地で、怒りにまかせ露天商の店をひっくり返したといいます。
人も人生の峠を越えて、体力、気力ともに落ちていくのを十年も経験すれば、何かにすがりたくなることもあるかもしれません。実は私もそんな気分になることがあるんですよ。今はまだ無宗教です。

>学会員が異常行動をとるに至るまでには必ずトレースが存在していると思います。
ただ異常性だけを見てしまうと、ちょっと理解不能なところもありますね。。
仰るとおりです。ご指摘の部分は「こなってああなる」の繰り返しだと思っています。トレースですか、分かりやすい表現です。今の学会の指導では不幸へのトレースを歩むことになると思います。
>、「信教の自由」に責任が伴わないのはまずいのではないかと考える今日この頃です。
「純粋な信仰心は罪ではない」とはいっても、創価学会に限って言えば、ろくでもないものに、結果的に加担することになります。たとえ財務が1万円だけとか、聖教新聞が一家で1部といっても加担することには変わりありません。ですが、学会員それぞれに過程や経過があると思います。なかなかいきなりとは行かないものです。あたたかく見守ることも必要なのかもしれませんね。あれ、私らしくなかったですか?




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コオロギ丸

Author:コオロギ丸
ようこそ、嫌創価流へ
創価学会と学会員はある意味で反面教師である、という方がおられます。その通りではないでしょうか。
創価学会並びに学会員をウォッチすることは、世間一般人にとって、必ず役に立つと確信します。
さあ、一緒にウォッチしませんか?

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